ノリタケ100年のあゆみ
-
1839(天保10)~ 1903(明治36)
開国とともに ― 森村組のはじまり
-
1904(明治37)~ 1914(大正3)
戦争のさなかで ― 純白への飽くなき挑戦
-
1917(大正6) ~ 1943(昭和18)
試練の時代 ― 近代化への布石
-
1945(昭和20)~ 1957(昭和32)
復興を掲げ ― 再開と再構築
-
1959(昭和59)~
好景気に湧いて ― 新事業の開拓
1839 - 1903天保10年 ~ 明治36年
開国とともに ― 森村組のはじまり
幕末の動乱の中で、海外に渡った1人の青年は、国のため貿易を志す―。
1839天保10
森村市左衛門、江戸京橋の武具商の長男として誕生
1853寛永6
ペリー、浦賀に来航
1859安政6
横浜港開港
森村市左衛門、海外貿易を志す
御用商人として唐物(舶来品)などの販売を行っていた創業者森村市左衛門。開国の裏で、日本の金(きん)が不利な相場で両替され、大量に海外へ流出していく現状を目の当たりにします。福沢諭吉から「金を取り戻すには、輸出貿易を行うほかはない」という助言を受け、自ら海外貿易を始めることを決意します。
1868明治1
明治維新
1876明治9
「森村組」(現 森村商事株式会社)創業
ニューヨークに雑貨店を開店
大倉孫兵衛、「森村組」参加
1878明治11
「日の出商会モリムラブラザーズ」設立
1881明治14
「モリムラブラザーズ」と改称
1882明治15
小売業から卸売業へ転換
1885明治18
インポートオーダー(見本による客宛直送注文)を開始
1889明治22
大日本帝国憲法発布
森村市左衛門、豊、パリ万国博覧会を視察
1892明治25
森村組 名古屋店を開設
1893明治26
大倉孫兵衛、シカゴ万国博覧会を視察し、図柄の洋風化を決意
1894明治27
日清戦争勃発
米国の大型専門店ヒギンズ&サイタ―店主から助言を受ける
大倉和親、森村組に入社
海外の万国博覧会で、ヨーロッパの製陶技術との差を痛感した市左衛門らは、米国の取引先をまわり、自社の技術向上のため視察を繰り返します。その際、「商売を拡大するならば需要の多いテーブルウェアを扱うほうがよい。白色の陶磁器をつくるべきだ」との助言を受け、自社での白色硬質磁器の製造を決意しました。
1896明治29
名古屋に画付工場を集約
1899明治32
白色硬質磁器の研究を開始
白色硬質磁器の開発のため、市左衛門は、技術者を欧州に派遣します。その後、名古屋に研究所を設置し、製造研究をスタートさせました。
1903明治36
ライト兄弟飛行成功
1904 - 1914明治37年 ~ 大正3年
戦争のさなかで―純白への飽くなき挑戦
欧米の製品に負けない純白のディナーセットを目指したが、そこには10年の苦難の日々があった―。
1904明治37
日露戦争勃発
「日本陶器合名会社」創立
愛知郡鷹場村大字則武に近代的な陶磁器製造工場を建設。日本陶器合名会社を創立し、初代代表社員(社長)には、大倉孫兵衛の息子大倉和親が就任しました。
1905明治38
高圧碍子の製造研究を開始
1907明治40
自社陶磁器用砥石の製造を開始
1913大正2
ディナー皿の焼成に成功
1914大正3
第一次世界大戦勃発
日本初のディナーセット「セダン」の輸出を開始
生地や釉薬を改良し量産に挑みますが、均一な25㎝ディナー皿の製造は非常に困難で、経営陣、技術者の献身的な努力もむなしく、なかなか日の目をみることはありませんでした。米国の取引先にアドバイスを受けてから20年後、ようやく日本初となる純白のディナーセット「セダン」が完成しました。
1917- 1943大正6年 ~ 昭和18年
試練の時代―近代化への布石
戦後の不況を受けて厳しい時代を迎えたノリタケ。海外販売網の拡大に生きる道を託す―。
1917大正6
「東洋陶器株式会社」
(現 TOTO株式会社)を設立
欧米視察で、衛生陶器事業の将来性を確信した大倉父子は、日本陶器内に製陶研究所を設立し研究を開始。そして衛生陶器の国産化を実現しました。
1919大正8
「日本碍子株式会社」
(現 日本ガイシ株式会社)を設立
輸入に頼っていた高圧碍子に着目。実用化に成功し、好調な国内市場を反映して碍子の注文が急増しました。さらにスパークプラグ部門を分離して、日本特殊陶業株式会社が誕生しました。
「大倉陶園」を設立
「…全く商売以外の道楽仕事として、良きが上にも良き物を作りて、イギリスの骨粉焼(ボーンチャイナ)、仏国の『セーブル』、伊国の『ジノリ―』以上の物を作り出し度し…」との思いから、大倉親子は美術陶器工場として大倉陶園を設立しました。
1923大正12
関東大震災
1925大正14
日本で初めてIBM計算機を導入
1929昭和4
世界恐慌はじまる
1932昭和7
日本で初めてボーンチャイナの製造に成功
1936昭和11
「日本特殊陶業株式会社」設立
「共立原料株式会社」(現 共立マテリアル株式会社)設立
1939昭和14
第二次世界大戦勃発
工業用砥石の本格的製造を開始
日米関係の悪化で、陶磁器の対米輸出が絶望的となり、工業用研削砥石の本格的な生産に乗り出します。その後、軍需産業向けの需要が急増し、量・質ともに日本最大の研削砥石工場となりました。
1941昭和16
太平洋戦争開戦
「モリムラブラザーズ」閉鎖
1943昭和18
食器製造を一時中止し、砥石製造へ全面転換
1945 - 1957昭和20年 ~ 昭和32年
復興を掲げ―再開と再構築
良品へのこだわりが信頼につながり、新しい躍進が始まった。産業の再興とともに砥石事業も未来へと飛躍していく―。
1945昭和20
終戦
食器製造を再開
終戦後すぐに食器の生産を再開しましたが、原料不足や技能者の激減で品質が確保できなくなり、やむなく「ノリタケ」の看板を下ろし「ローズチャイナ」の商標を用いることに。2年後にようやく「ノリタケチャイナ」の商標が復活しました。
1946昭和21
「ローズチャイナ」の商標使用を決定
砥石製造を再開
戦後の復興には機械工業の発展が不可欠。終戦とともに研削砥石は製造を中止していましたが、1946年に再開しました。
1947昭和22
「米国ノリタケ」設立
制限付きの民間貿易が再開と同時に、食器の販売を目的とする米国ノリタケを設立し、輸出を再開しました。
1948昭和23
「ノリタケチャイナ」の商標を復活
1957昭和32
社是「良品・輸出・共栄」を制定
創業者森村市左衛門が定めた「我が社の精神」に基づき、社是を制定。この言葉には「良いものをつくり、社会に貢献し、社会とともに発展する」という想いが込められています。
「ノリタケオーストラリア」設立
1959- 2011昭和59年 ~ 平成23年
好景気に湧いて―新事業の開拓
コア技術を展開させた活発な開発活動によって、めざましい成長を遂げる。4本の事業は太く強くなっていく―。
1959昭和34
皇太子殿下(今上上皇)御成婚
伊勢湾台風
1963昭和38
「日本コーテッドアブレーシブ株式会社」(のちに株式会社ノリタケコーテッドアブレーシブ、2022年に日本レヂボン株式会社に吸収合併)設立
1964昭和39
東海道新幹線開業
東京オリンピック開催
三好工場 操業開始
1966昭和41
ビートルズ来日
1967昭和42
「伊勢電子工業株式会社」(現 ノリタケ伊勢電子)が蛍光表示管を開発
セラミック基板への厚膜回路の印刷技術を開発
陶磁器製造の技術を生かし、電極用ペースト、厚膜回路基板を開発するなど、事業はエレクトロニクス分野へも拡大。砥石に関連したろ過設備の開発、混合攪拌装置(スタティックミキサー)、焼成炉、乾燥炉などの加熱設備など、コア技術が先端分野の開発に活かされています。
1968昭和43
「ノリタケカナダ」設立
1969昭和44
アポロ月面着陸
1970昭和45
大阪万博開催
1971昭和46
世界初のビトリファイドCBNホイール完成
1972昭和47
札幌オリンピック開催
「ランカポーセレン社」(現 ノリタケスリランカ)設立
1978昭和53
成田国際空港開港
1981昭和56
社名を「株式会社ノリタケカンパニーリミテド」に変更
1987昭和62
「ノリタケヨーロッパ」設立
1988昭和63
「ノリタケ台北」設立
1991平成3
バブル崩壊
1995平成7
タイに「サイアム・モールディング・プラスター」(現 ノリタケSCGプラスター)設立
「ノリタケインドネシア」設立
1996平成8
タイに「ノリタケサイアム」(現 サイアムコーテッドアブレーシブ)設立
1997平成9
「アイトロン英国」設立
2001平成13
「ノリタケの森」オープン
2003平成15
「東芝セラミックスファーネス株式会社」を連結子会社化し、同社名を「株式会社ノリタケTCF」へ変更
2004平成16
「ノリタケ上海」設立
2008平成20
「ノリタケSAタイランド」設立
2011平成23
「ノリタケ蘇州」設立
2012平成24
食器直営店「ノリタケ・大倉陶園 銀座店」開設
2014平成26
本社工場を三好事業所に移転
2015平成27
「ノリタケの森」ウェルカムセンターリニューアル